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かりんとうの歴史

「かりんとう」は2度生まれた。


「かりんとうの定義」のページでは、かりんとうの起源は諸説あってはっきりとしないが、「唐菓子」を起源とする説が有力ではなかろうか、と書きました。ここでは、それら諸説について考えてみます。

唐菓子由来説

奈良時代から平安時代にかけて、遣唐使により穀類を粉にして加工する製法の食品が伝わり、これらは唐菓子と呼ばれた。

小麦粉を原料としたかりんとうも同じ起源であると考えられる説です。

南蛮渡来説

スペインではペスティーニョ、ポルトガルではコスクランと呼ばれる似たお菓子があり、足利時代末から鎖国令までの南蛮菓子の輸入時代にカステラ・ボーロ・コンペイトウ・カルメラなどが輸入され、日本独自の製法により和菓子として発展した。

元々は南蛮の菓子だが、日本で和菓子として発展したお菓子の一つである、という説です。

戦国時代の兵士保存食説

軽くて栄養価の高いかりんとうは、戦国時代の兵士に重宝されたのではないか。
戦国武将が財政復権のため職人を使わした。

など、推測の域を出ませんが、まったく根拠がないとも言い切れない説です。

「戦国時代の兵士保存食説」については多くのサイトで目にしたのですが、はっきりとした根拠が見つかりませんでした。また、『揚げ物って長期携帯食に向いているのだろうか??』という素朴な疑問も感じたため、ここでは「唐菓子由来説」と「南蛮渡来説」に的を絞って、かりんとうの起源に迫ってみました。

かりんとうの起源

1. 「菓子」は「くだもの」だった

「菓子」は「くだもの」だった。かりんとうの起源には諸説ありますが、つきつめれば「小麦粉を水で練って油で揚げる」という、いたってシンプルな製法の『お菓子』であることに着目し、ちょっと視点を変えて、日本のお菓子の起源について調べてみました。



古代の日本では果実や木の実などを総称して「くだもの」と呼び、漢字が伝来して「果子」または「菓子」の字が当てられるようになりました。また、唐からは穀類を粉にして加工する製法の食品(揚げ菓子もその一つ)が伝わり、これらを「唐菓子」と呼び、「くだもの」のことは「水菓子」と呼んで区別するようになったといわれています。
このことは、日本のお菓子の起源そのものが「唐菓子」であることを意味しています。

であれば、かりんとうの起源もやはり「唐菓子」!
と言いたいところですが、もう少し追ってみましょう。


2. お菓子は硬かった?!

甘いお菓子作りには欠かせない卵。現代のお菓子では当たり前のように使われている「卵」。生地を膨らませて保つ役割を担っている卵は、やわらかくて甘いお菓子作りには欠かせない食材です。もちろん、かりんとうにもよく使われています。



さてこの卵。日本ではいつ頃から食べられていると思いますか?
農作業が営まれた弥生時代?狩猟生活の縄文時代?

実は卵が食文化に取り入れられ始めたのは江戸時代頃からだと言われています。
紀元前100年頃に朝鮮半島から鶏は伝わりましたが、肉食を禁忌とした仏教の影響で鶏が産む卵も食用とされなかったようです。

江戸時代、キリスト教の伝来により多くの人々の信仰に対する考え方が変わってくると、卵に対する信仰心や恐怖心もなくなり、庶民の間で食べられるようになったと伝えられています。

もし唐菓子を起源とするのであれば、卵が食文化になっていないこの頃のかりんとうは卵の入っていない、硬~いかりんとうだったのかも知れません。
(今でも、硬さを売りにする多くのかりんとうは、卵を使っていません。)


3. お菓子革命

かりんとうがふんわりと香ばしい和菓子になった頃。ではふんわりと香ばしいかりんとうはいつ頃生まれたのでしょうか?
室町時代、1549年キリスト教の宣教師F・ザビエルは焼き菓子、飴を布教活動に使い、織田信長には金平糖を贈ったとされています。この後70年間南蛮貿易は続き、西洋の菓子は日本に普及していきますが、1616年に鎖国となります。


かりんとうが南蛮渡来のお菓子であるならば、「南蛮菓子 かりんとう」は鎖国と共にその生涯を終えます。享年70歳。

いえいえ。いつの時代も裏道と甘いお菓子はあるものです。

明治の開国までの長い江戸時代の間にビスケットは「そばぼーろ」、ケーキは「かすていら」、と日本の製法・食材によって「南蛮菓子」は「和菓子」へと生まれ変わっていったのです。「南蛮菓子 かりんとう」も「和菓子 かりんとう」に生まれ変わったのではないかと想像します。

この頃には卵も使われ、ふんわりと香ばしい和菓子となっていたことでしょう。


4. その時歴史は動いた

多種多様な形と硬さ・味が魅力のかりんとう。ライターがイメージするかりんとうは、「小麦粉を水で練って油で揚げた」シンプルで硬いかりんとうです。なので、かりんとうの起源はお菓子の起源「唐菓子由来説」だと考えます。が、ふんわりサクっと香ばしいかりんとうに親しんでいる方からすると、和菓子へと生まれ変わった「南蛮渡来説」に賛同するのではないでしょうか?


多種多様な形と硬さ・味が魅力のかりんとう。
このサイトが、ご覧の皆さまとかりんとうの新たな歴史となることをお祈り申し上げます。


あとがき これはかりんとうじゃない


今回ライターが真っ先に否定した「戦国時代の兵士の保存食説」。

もしかしたらこの食材が混同された説なのでは?と考えられるものがありましたので、ここに紹介します。

伊賀忍者の携帯兵糧「かたやき」

小麦粉と砂糖を練り合わせ、檜の板で押さえながら焼いた菓子。その堅さは、迂闊に噛めば歯が折れるほどで、伊賀の忍者は刀の鍔や基礎石で割ったと伝えられている。嵩(かさ)が少なく、かつ滋養に富むことから携帯兵糧として用いられた。


なるほど、揚げずに硬く焼きしめたものなら乾パンのように保存食になり得ます。

「油で揚げる」というかりんとうの定義からは外れていますが、原材料は同じで、焼くか揚げるかの製法の違いだけなので、この説を結びつけて考えてしまった、といったところかも知れません。
薄くて堅いかりんとうや、「焼きかりんとう」というのもありますし、ね。



かりんとうはお早めにお召し上がりください。